
このように、農作物には害虫や病気がつきものであったことから、人類が農業を営み始めた頃から、病害虫との戦いが始まりました。今でも田植えが一段落した頃、「虫送り」「虫追い」といった伝統行事が、日本各地で行われています。これは、農家の人たちがみんなで太鼓や半鐘、たいまつなどを持って、声を出しながら田んぼのまわりを歩くというもので、これで稲に付く虫が追い払われるとされていました。
しかし、これで病害虫の被害がなくなることはなく、歴史をひもとくと、何度も天候の不順から病害虫が異常発生し、大変な飢饉に見舞われたことがわかります。中でもよく知られているのは、1732年に起こった「享保の大飢饉」です。西日本一帯に稲の害虫であるウンカが大発生したことから、伊勢から西の地域で大凶作となり、当時の日本の人口の1割近くにあたる265万人もの人々が飢えに苦しんだと言われています。そして、96万人を超える人が餓死したと伝えられています。
このような中で、日本でも技術的な方法で害虫を防除する方法が生み出されてきました。江戸時代の1700年代から行われていた「注油駆除法」といわれるもので、ウンカが発生した水田の水面に鯨油を垂らし、それをほうきで稲にかけてウンカを油まみれにした後、棒などで水面に払い落とすという害虫駆除法です。この方法は、昭和の初期まで続けられていました。
病気によって起こった大飢饉として世界的に知られているのが、19世紀のアイルランドで起こったジャガイモ飢饉です。当時のアイルランドではジャガイモが主食でしたが、1843年から1847年にかけてジャガイモの伝染病が大発生し、収穫量が大幅に減少しました。その結果100万人もの餓死者が出たと言われています。
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